長野地方裁判所松本支部 昭和44年(ワ)26号 判決 1971年4月28日
原告
宮原繁子
外二名
代理人
林百郎
同
小笠原稔
被告
松本ガス株式会社
代理人
久保田嘉信
主文
被告は、原告宮原繁子に対し金一、四一〇、〇〇〇円、原告宮原由起美、同宮原由花里に対し各金一、一七〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四三年七月九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。
この判決の原告ら勝訴の部分は、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者双方の求めた裁判
一、原告ら
「被告は原告繁子に対し、金三二〇万八、〇三一円、原告由起美、同由花里に対し各金二五九万九、二四六円および右各金員に対する昭和四三年七月九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決並びに第一項について仮執行の宣言。
二、被告
「本件請求はいずれも棄却する。」
訴訟費用は原告らの負担とする。」
との判決。
第二、請求の原因
一 本件事故の発生
宮原勇(以下勇ともいう。)は、昭和四三年七月九日午前零時ごろ長野県松本市寿区白瀬淵六八一番地小林栄所有のアパート内の同人が借り受けた一室(以下本件アパートという。)において、ガス中毒により死亡した。
二、本件事故に至るまでの事実関係
1 勇は、昭和四三年四月より松本市所在の松本職業訓練所訓練生となり、かねて原告ら肩書地の住居より、右訓練所まで通勤していたが同年七月六日本件アパートに単身下宿することとし前記小林栄と賃貸借契約を結び、同月八日入居した。
2 ところで、本件アパートは、小林栄が昭和三九年ごろ貸室用に改築し、その際被告の供給する都市ガスが敷設され、室内には導管、元栓、ゴム管、ガスコンロの順にガス器具が設置され、右設備付で賃貸の用に供されていたが、昭和四三年三月中旬ころより空室となり亡勇が借りるまでの間室内のガス器具へはガスが通じないようになつていた。
3 そこで右小林は、同年七月八日ごろ被告に対しガス供給の申込をしたところ、被告はこれに応じ、同日被告会社工務課供給管理関係従業員赤津芳明をして本件アパート内のガスコンロにガスが通じるよう開栓作業をなさしめた。
ところが、本件アパート内のガス器具は右のとおり昭和三九年ごろ設置されて後一度も取替えをなさなかつたため、ゴム管は腐蝕しており、若し元栓を開栓したままガスコンロ付の栓を閉栓しておくときは、ゴム管の腐蝕部分がガスの圧力に耐えられず、ガス洩れの生ずることの明らかな状態となつていた。しかるに右赤津は、右ゴム管を何ら検査することなく単にガスコンロに点火を試みたのみでゴム管の安全栓を確認しなかつた。
4 勇は、都市ガス使用による生活の経験がなく、また前記ゴム管の事情も知らないまま同月八日夕刻本件アパートに入居し、一旦引越荷物を運び入れたのみで直ちに外出し、同日午後九時ごろは本件アパートに帰つて就寝した。その際ガスの元栓は開いており、ガスコンロ付の栓が閉じたままの状態であつたため、同人の睡眠中前記ゴム管の腐蝕部分からガスが噴出しはじめ、室内にガスが充満したため、本件事故となつたものである。
三、被告の責任
被告は次に述べる、1、2いずれかの理由により本件事故につき責任を免れない。
1 被告は、広範な地域の住民に対し、独占的にガスを供給することを保障され、かつこれを営利事業として行つているのである。しかも右ガスはその管理を怠り又は誤つた場合における危険は極めて重大なものである。これに反し、右ガスを利用する一般住民は、何らガスに関し専門的知識を有していないにもかかわらず、その使用は極めて簡単にできる状態である。このような状況から被告は、ガス事業法に定める一定資格を有する専門的知識を有する者に安全確保の措置をとるよう義務づけられている。
以上のような被告のガス供給事業の独占性、営利性、危険性からみると、右事業に伴つて発生する危険、したがつてまた本件事故についても無過失責任を負うべきである。
2 被告のガス供給規定によると供給施設(導管、整圧器、ガスメーター)について保安の責に任ずる旨規定するほか、保安上必要と認めた場合には使用者の建物内に設置された供給施設器具等について位置変更、修理、撤去もしくは特別の施設を求め、または使用を断わることができる旨定めている。そしてそもそもガスの使用は各消費者が使用(燃焼)の段階における安全性が確保されてはじめて安心して使用できるものであるから、使用者の安全性確保の点からすれば、導管とこれに接続するガス器具とは常に一体としてとらえられなければならない。
してみれば、元来被告はゴム管やガスコンロ等のガス器具の設置については漫然と使用者のなすがままに放置すべきものではなく、使用者の希望する器具の設置は(その費用は別問題として)被告の責任においてすべきであり、またその他安全性確保のための措置、例えば新規契約の際はガス使用者に対し、使用上の注意説明を充分なすとともに一定期間ごとに安全性確保のための点検をなす等の措置をとるべきものである。したがつて被告は少くとも前記のガス供給規定に基づいて開栓業務にあたる際には、必らず使用者の設置したゴム管、ガスコンロ等の施設に対し、ガス漏れ等の危険を防ぐため、点火、ひつぱり等の点検をすべく、事実従来この点検をしてきたものである。
ところで本件の場合前記のとおり被告は、赤津をして開栓作業を行わせたものであるが、同人は、当時未成年者一七歳でありしかも供給管理係に移つて以来三か月を経たばかりであり、開栓業務について能力、経験共未熟であつた。そのため、同人は開栓に当り、ただ漫然とガスコンロに火がつくことを確認したにとどまり、開栓業務に必要なゴム管、コンロ等の器具を点検すべき注意義務を怠つたため、本件ゴム管が腐蝕のため使用に耐ええない状況にあるのを見誤つた過失により本件事故が発生したものである。
よつて被告は、民法七一五条による使用者としての責任を負うべきである。
四、損害
1 勇の損害とその賠償請求権の相続
(一) 得べかりし利益の喪失による損害
勇は、本件事故当時松本職業訓練所訓練生として失業保険金月額金三二、九〇〇円の支給を受けており、右受給資格は同訓練所卒業の期日である昭和四四年三月三一日まで存在していた。そして同人の一か月の生活費は金一〇、〇〇〇であつたから、同人は一か月につき金二二、九〇〇円の純利益をえていたものである。また同訓練所卒業後は、自動車整備工としての職業を得られることは確実であり、その収入額は少くとも前記失業保険金額を下らないことは明らかであるからその後も前記金二二、九〇〇円を下らない純利益をえることができたはずである。
しかして勇は、本件事故当時三六才であり、厚生大臣官房統計部「第一一回生命表」によるとその平均余命は34.62年となり、本件事故が発生しなかつたなら同人は少なくともあと二七年間は就労が可能でありその間少なくとも前記と同額の純利益をえることができたはずである。
従つて同人の右二七年間の得べかりし純利益額は、右一か月の純利益額に三二四を乗じた金七、四一九、六〇〇円であり、これをホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除した数額は金四、六一七、七三九円となる。
(二) 勇の慰藉料
勇は、将来自己の最も得意とする自動車整備工としての生活を期待して訓練生となりその途上本件事故に遭遇したものであり、その精神的苦痛ははかり知れないものがある。よつてこれに対する慰藉料は金一、五〇〇、〇〇〇円もをつて相当とする。
(三) 原告らの相続
勇は、被告に対し右(一)、(二)の合計金六、一一七、七三九円の損害賠償請求権を取得したところ、原告繁子は勇の配偶者とし、原告由起美、由花里はその嫡出子としていずれもその三分の一である金二、〇九九、二四六円を相続した。
2 原告らの慰藉料
勇は、原告ら一家の生計を支え、なおより一層豊かな生活をなすべく自動車整備の技術の習得に専念していたものである。原告らはその将来を楽しみにしていたところ、本件事故により同人を失つたのであり、これにより多大の精神的苦痛を被つた。よつてこれに対する慰藉料は、原告繁子につき金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告由起美、由花里につきそれぞれ金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
3 葬儀費用等
原告繁子は、本件事故により本件アパート内の後始末その他雑費として金一、〇〇〇円、勇の葬儀費用として金九八、七八五円、計金一〇八、七八五円の支出をした。
五、そこで被告に対し、原告繁子は同人に関する前記四の1ないし3に記載の金額の合計金三、二〇八、〇三一円、原告由起美、同由花里はそれぞれ同人らに関する前記四の1、2に記載の金額合計各金二、五九九、二四六円と各自これに対する不法行為の後である昭和四二年七月九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁と主張
一 答弁
1 請求原因一、の事実は認める、
2(一)、請求原因二、の1、2の事実は知らない。
(二)同3の事実中、被告が、原告主張の日に小林栄方よりガス供給の申込を受け、同日被告会社従業員赤津芳明が本件アパートのガス開栓作業に当つたことは認めるが、右アパートのガス器具が原告主張のころ設置され、その後取替が行われなかつたこと、ゴム管が腐蝕していたことはいずれも不知、その余の事実は否認する。
なお、赤津は、右ガスの開栓作業をするに当つて小林栄の妻しづの立会のもとに、メーターコックを開栓し、ガスコンロまでガスが通じるかどうか点火試験を行つた。その際同アパート内に設置してあつたゴム管の状態を確認し、特別異常が認められなかつたので小林しづの指示に基づいて本件ゴム管付ガスコンロを点火試験に用いたものである。
(三)、同4の事実中、ガスの元栓が開いており、ガスコンロ付の栓は閉つていたとの点およびこのため勇の睡眠中ゴム管腐蝕部分からガスが噴出しはじめ、本件事故になつたものであるとの点は否認し、その余の事実は知らない。
右赤津は、後記のとおり、ガス開栓作業をしてガスコンロまでガスが通じていることを確認して右作業を終了し、元栓を閉鎖した。ところが、その後勇が右元栓を開栓してガスを使用した際ゴム管をコンロに接近させて使つた使用上の誤りによりガスコンロの熱がゴム管に加わり、その一部を溶かし、そのために右ゴム管に穴があいたのにかかわらず、このことを知らないで、元栓を閉鎖しないまま就寝した結果右ゴム管の溶けた部分からガスが漏出して本件事故に至つたものである。
3 請求原因三の1の事実中、被告が広範な地域住民に対し、独占的にガスを供給することを保障され、かつこれを営利事業として行つていることは認めるが、その余の主張は争う。
同2の事実中ガス供給規定に原告主張の事項が規定されていることは認めるがその余の主張は争う。
4 請求原因四の事実中1(一)、3は不知、1(二)、2は否認、1(三)は争う。
二、主張
1 被告は、ガス供給規定によりガスの供給施設について保安の責任を負うものである(同規定三七条一項)が、右供給施設とは導管、整圧器およびガスメーターをいうのであり(同規定二条八号)、ゴム管やガスコンロなどのガス器具はこれに含まれない。従つて被告は右ガス器具についての保安責任はなく、保安の必要を認めた場合に限つて使用者に対し位置の変更、修理、撤去を求め又は使用を断ることがあるだけである(同規定三七条二項)。従つて右ガス器具から発生した本件事故について被告に責任はない。
2 赤津は、前記のとおり小林栄方からガスの開栓作業の依頼を受けたのみで、ゴム管やガスコンロ等の点検または修理の依頼を受けたものではない。そして右開栓業務にはゴム管やガスコンロ等についてこれを特に点検、修理する義務はないのである。従つて赤津がこれをしなかつたとしても同人に過失はない。すなわち、ゴム管の所有、管理は小林栄にあり、被告にはないのであつて、赤津は、右小林から開栓の依頼を受けたのみであるから開栓、点火の業務を中心に行えば足りるのであり、ガス器具の所有者、管理者から積極的に右ガス器具が使用に耐えるか否か、修理する必要があるか否かの判断を求められていない本件において赤津に対しそれ以上の過大な行為を要求することはでない。
ところで、赤津は右開栓業務に際し、点火試験に付髄してその範囲でガス器具を点検し、器具のところまでガスが通つていることを確めてから元栓の周囲やゴム管の継ぎ目を見たりゴム管を手でさわつたりまたは引張つたりし、さらにガスコンロの燃焼状態も観察し、異常のないことを確認して元栓を閉栓したものであり、右は、開栓業務に付随して行つたものとしては充分過ぎる位である。
3 本件事故は、次に述べるとおり、勇の一方的かつ重大な過失により発生したもので被告には責任がない。
(一) 本件事故は、前述のとおり勇が、ガスを使用した際、ガスコンロをゴム管に接近させて使つた使用上の誤りによりコンロの熱がゴム管に加りその一部を溶かしその部分からガスが漏出して惹起したものである。
(二) また本件ゴム管が相当古くなつていたことが本件事故の原因であるとしても、およそガスの利用者はガスを使用するに当りゴム管が使用するに耐えるものであるか否かを点検しこれに疑いがある状態であれば、ガスコンロ等の所有者に対し改善を申し入れ自らガス事故の発生を防止する義務があり、またガス使用者はガス使用後常に元栓を閉鎖する義務があるのであり、勇が若し右の義務のいずれかでも怠つていなければ本件事故は絶対に発生しなかつたのである。
第四 証拠関係《略》
理由
一請求原因一、の事実(本件死亡事実の発生)は当事者間に争いがない。
二そこで、まず本件死亡事故の発生にいたる経過および右事故の原因について判断する。
1 <証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 宮原勇は、かねて土建業安藤建設に勤務していたが、昭和四三年二月ごろ右安藤建設の事実縮少によりここを解雇されたため、自動車整備の技術を修得して自動車整備工になるべく、同年四月初め長野県松本市所在の松本職業訓練所に入所し、当初本件アパートの近くで同訓練所の同僚中西栄吉と二人で下宿していたが、部屋が手狭であることなどから単身下宿することにし、同年七月六日本件アパートの所有者である小林栄(本件事故後死亡)と賃貸借契約を結び、同月八日夕刻荷物を運び入れて入居した。
(二) 本件アパートは前記小林栄が以前蚕室として使用していたものを昭和三九年から四〇年の初めにかけて一階を物置とし、二階部分を三室に分けて貸室用に改造した中央の一室であり、右改造の際被告が供給するいわゆる都市ガスの設備が被告会社により敷設され、一階の側壁に二階各室へ通じる三個のガス計量機およびコック(メーターコックともいう。)が設置され、同所から二階各室内へ金属製導管が通じ、本件アパート内には右導管の先端に接続する金属製のY字型カランにより二方向に分岐し、それぞれに栓があり、勇が賃借した当時その一方の栓(以下元栓という場合はこれを指称する。)に接続して直径約1.3センチメートル、長さ約7.5センチメートルのゴム管があり、(他方の栓の先にはゴム管等が接続されず常時閉鎖されていた。)、次いで栓付の鋳物製ガスコンロが接続していた。
(三) 本件アパートは、完成後の昭和四〇年四月初ごろから同年五月末迄単身の入居者があり、その後同年一一月ごろ夫婦が入居し昭和四三年三月なかばごろまで居住していたが、その後入居者がなかつたので、小林栄の依頼により被告がガスの供給を一時停止するため前記メーターコックを閉鎖した。
ところが右小林は、前記のとおり本件アパートを勇に賃貸することになつたので、同年七月八日被告にガス供給の依頼をし、被告はこれに応じ同日午後三時ごろ被告会社工務課供給係の赤津芳明が開栓の作業に赴き、かねて閉鎖してあつた右バルブを開いてガスが前記導管を経てガスコンロに通じる作業を行つた。
(四) ところで勇は前同日荷物を運び入れて後本件ガスコンロを一時使用して湯を沸すため、点火したが、数分後にこれを止め、右荷物の運搬を手伝つた同僚の高橋泉と連れだつて外出し、夕食を近くの食堂で済ませて帰り、その後就寝したが、その当時前記ガスコンロの栓は閉つていたが、元栓が開いており、前記ゴム管の元栓より数センチメートルの個所に直径約一ミリメートルの穴(ほぼ粟粒大のもの)があきそこから被告供給のガスが漏出し本件アパート内に充満したため、勇がガス中毒症により死亡し本件事故が惹起した。
2 そこで本件ゴム管に右の穴がどうしてあいたものであるかについて判断する。
(一) <証拠>によれば、本件ゴム管は前述のとおり小林栄が本件アパートにガス施設が敷設された際、ガスコンロと共に小林栄が購入し被告において取付けて以来本件事故に至るまで約三年にわたつて交換されないままここに居住していた者により引続き使用されてきたものであり、全体が相当古くなつていただけでなく、とりわけ元栓に近い部分が炊事の際の油や熱などのため著しく汚穢し、殊に元栓から四、五センチまでの部分は変質して軟化、溶融、変形していたこと、そのため勇が本件アパートに入居してガスコンロを使用した後コンロの栓を閉めたが元栓を開いたままの状態にしておいたことからその後ガスの圧力(この圧力は一般需要者が最も多く利用する夕食時を過ぎると次第に高まる)がゴム管に加わり、前記軟化、溶融、変形していた部分が膨張し最も軟弱な個所が破れて前認定の箇所に穴があいたものであること、が認められる。
(二) 被告は、本件ゴム管は赤津が点検した際には異常がなく、勇がガスを使用したとにきガスコンロをゴム管に接近して使つた使用上の誤りにより熱がゴム管に加わり溶解してゴム管に穴があいたものであると主張する。そして証人赤津、同高山の証言中には、赤津は開栓作業においてゴム管やその継ぎ目などを引張り、コンロを裏返しにしてみるなどしてゴム管およびコンロを点検したが、異常が認められなかつた旨、また本件事故後ゴム管を見たところ、穴のあいた部分がドロドロになつていてゴムが熱によつて溶解した直後のような状況を呈していた旨の供述部分がある。
しかし、(1)<証拠>中の本件ゴム管の写真を精査検討しても、穴のある付近の状況は事故直前に加わつた熱によつて溶解したもののようにはみうけられないこと、(3)、<証拠>によれば、赤津は本件事故発生の日である昭和四三年七月九日業務上過失致死罪の嫌疑で松本警察署において司法警察員岡村文男の取調べを受け、同日付供述調書二通が作成され、うち一通の供述調書はそのころ既に押収されていた本件ゴム管およびコンロを提示されたうえ録取されたものであり、また被告会社総務課長高山得郎も本件事故について同月一一日前同所で前同様取調べを受け供述調書が作成されたものであるところ、若し右ゴム管の穴の付近が、前記証言どおりであるならば、同人らは右取調べの際にそのことを指摘することができたのであり、かつその指摘があつたとすればこれが調書に記載されるのが自然であるが、右調書中にはこのような記載はなく、却つて点検を充分にしなかつたことが事故の原因をなしている趣旨の記載があること、<証拠>によれば、本件死亡事故を本件アパートに入つて最初に発見した高橋泉は、ゴム管に生じた穴からガスが噴出しているのを知り、元栓をしめて後直ちに警察等に連絡し、同日松本警察署員がゴム管、ガスコンロその他本件アパートの実況見分を行い、実況見分調書(甲五号証)が作成されたがその間にゴム管やガスコンロの移動された形跡はなく、右実況見分調書から認められるゴム管ガスコンロの位置関係では、本件ゴム管の穴のあいた付近に特にコンロの熱が加わるような状況になかつたこと、(4)、前記(3)記載の証拠によれば、勇は、前認定のとおり、本件アパートに荷物を運び入れて後、同僚と近くの食堂で夕食を済ませており、当日夕食の準備のためにガスを使用したとは考えられず、前記甲五号証によれば、同人は同夜就寝前湯を沸した形跡があるが、その際は本件アパートに入居する前から使用していた小型のプロパンガス(一〇キログラムボンペにゴム管、ガスコンロが接続している。)を使用したものと考えられるところであり、その他同人が当日本件ガスロンロを長時間使用したことを窺う状況がないこと、(5)<証拠>によれば、本件死亡事故を捜査した松本警察署員は、昭和四三年九月二一日赤津につき業務上過失致死罪の嫌疑あるものとして事件を検察官に送致したことが認められるが、右捜査を担当した警察官は、いずれもゴム管に穴のあいた原因についてゴム管が古く長期間にわたつて使用したことにあると判断し、特に勇が誤つてゴム管を溶解させたものと考えていた形跡がないこと、以上(1)ないし(5)の事実と、前記証人赤津、同高山の証言部分とを対照すると、右証言部分はたやすく信用できず、他に前記(一)認定の事実をくつがえす証拠はない。
三そこで進んで被告の責任について考える。
1 <証拠>によれば、被告会社が定めるガス供給規定(昭和三一年一月二一日通産大臣認可、昭和三四年八月一一日変更認可)において、まず「供給施設につき、これを導管、整圧器およびガスメーターとする旨明らかにし(二条)(従つて、通常導管の最先端には栓(元栓)が設置され次いでゴム管を経てガスコンロ等ガス燃焼用器具に連結しているので、「供給施設」は本管、支管を経て元栓に至るまでの設備をいい、元栓の先にあるゴム管やガスコンロ等の器具はこれに包含されない。)、右「供給施設」につき、被告会社は、不可抗力または使用者の故意、過失の場合を除いて保安の責に任ずる旨明記する(三七条一項)。そして右保安上の責任を実効あらしめるため、「供給施設」に関する工事は被告会社または被告会社が承認した工事人が施工することとし(一一条一項)、また被告会社社員の行う供給施設、器具もしくは機械の検査、作業等を正当な理由なく拒みまたは妨害したときは、供給停止、解約若しくは施設の撤去をすることがある旨規定する(三四条一項二号)。
これに反し、右供給施設に含まれないゴム管やガスコンロ等については被告において保安の責に任ずる明文の定がないばかりでなく、これらの器具の設置または設置場所の変更等については供給施設に関する右のような特別の定めもなく、前記証拠によればこれらガス器具はガス供給者である被告の責任において設置するものではなく、通常どこにも市販されており、利用者が任意に購入設置しまたは交換するなどして使用しているのが常態であることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
このような事実に徴すると、通常の使用形態においては元栓より先の部分即ちゴム管やガスコンロ等は、各利用者が所有、占有し、その全面的な管理の下におかれているものというべきであり、ガス事業の社会的効用と危険性をあわせ考えると、右ゴム管やガスコンロ等については各利用者がまずみずから、これより生ずる事故発生の危険を防止する義務を負担するのが当然である。
2 しかし、一般の需要によりガスを供給する事業は特定需要者のみならず付近の多数の人の生命、身体、財産等を侵害する危険を伴うものであること、そしてそれ故にこのような危険を防止し公共の安全を確保するためにガス事業法により一定の資格を有する者のみがこの事業を独占的に営むことができるものとされているのであるから、元来このような事業を行う者は、これより生じる危険の防止につき常に取締法規や供給規定に限定されない高度の注意義務が課せられているものというべきである。そしてゴム管やガスコンロ等のガス器具は、前記供給施設と一体として初めてその目的に応じた利用が可能になるのであり、しかも被告会社の保安の衝に当る者は、がスやガス器具について一般需要者に比べてはるかに高度の知識と広い経験を有している反面、一般需要者はこれらの知識や経験は少く、これより生ずる危険の認識にも不充分な場合が多いことを考慮すると、通常被告の管理の範囲内にないこれらガス器具についても、少くとも被告が開栓業務を行う場合のように、これらがス器具を当然にもしくは容易に見分することができるような場合には、右ガス器具につきその知識経験に照らしてガス漏出等の危験がないかどうかを点検しその安全性を確認する義務があるものというべきである。(殊に開栓作業において、元栓より先にゴム管やコンロ等が設置されている場合には、メーターコックを開くことによつてガスが通じるようになつたか否かはガスコンロ等に点火することによつて確認するほかないのであるから一時的にもせよ右作業中は右ガス器具が被告従業員の管理の下にあるものと解することができる。)
そして、前記ガス供給規定三七条二項には、被告会社は保安上必要と認めた場合には使用者の構内または建物内に設置した供給施設器具もしくは機械について位置変更、修理、撤去もしくは特別の施設を求め、または使用を断ることがある旨規定し、また同規定三四条一項二号には前記のような規定があり、ここにいわゆる「器具または機械」の中には、その文言からいつて前記ガス器具が含まれるものと解すべきであり、証人渡辺の証言中これに反する部分は採用できない、右規定は右ガス器具についての点検義務を前提とした規定ということもできるし、現に被告会社では開栓業務にあたり常に需要者方のゴム管等のガス器具の点検をしていることは証人高山、渡辺の証言によつてもあきらかであり、他に右認定を左右する証拠はない。
そうだとすれば、開栓作業に従事する者は、単にメーターコックを開いてガスコンロ等ガス燃焼用器具にガスが通じることを確認するのみでは足らず、導管はもとより、元栓より先のゴム管やコンロ等の器具およびその接続箇所等について点検し、それが安全であることを確認すべきであり、若しこれら器具が老朽しあるいは構造上の欠陥等によりガス漏出等の危険がある場合には、所有者まはた利用者に対してこれを修理し、撤去交換するよう指示し、若しそれがなされた後でなければガスを通じることが危険である場合には、メーターコックを開栓してはならない注意義務があるものというべきである。
3 そこで本件についてこれを検討すると、本件ゴム管は前認定のとおり取付後約三年間を経、その間引き続き使用されたことにより全体が老朽しており、しかも元栓に近い部分は、著しく汚穢、変質して軟化、溶融、変形していたのであつて、<証拠>によると、本件ゴム管の軟化、溶融、変形の状況はそのまま引続き使用することを許さない危険な状態であり、しかもその状態は注意してこれをみたり、さわつたり、引つぱつたりするなどの点検をすれば容易に発見できたものであるところ、赤津は右開栓作業の際右の注意を怠り、漫然とガスコンロにガスが通じていることを確かめたのみでゴム管等の安全性について充分な点検をしなかつたこと、その結果、前記のような経過により本件事故が発生したことが認められる。被告は、開栓作業の際、赤津がガス器具を点検しゴム管については肉眼でみたのは勿論、手でさわつたり、これを引つぱつてみたりなどして点検したと主張し、甲一八号証、証人赤津、同高山の証言には右主張に符合する部分があるが、前記証拠に照らして信用できず、他に右認定を左右する証拠はない。
4 このように、被告会社従業員赤津が開栓業務を行つた際ゴム管の安全性を点検する義務を怠つた過失により本件死亡事故が惹起したものであるから、被告は、原告の無過失責任の主張を判断するまでもなく、民法七一五条一項所定の使用者として本件事故による後記認定の損害を賠償する義務がある。
四過失相殺について
本件事故は、前認定のとおり、赤津が開栓作業を終了しガスコンロの栓および元栓を閉鎖しておいたところ、勇が本件アパートに入居後ガスを使用した後ガスコンロの栓を閉じたのみで、元栓を閉鎖しなかつたため、ガスの圧力によりガス管の軟弱部分がガスの圧力で破れて穴があき、ここからガスが漏出して惹起されたものであり、勇が元栓の閉鎖を怠らなかつたならば、本件事故は発生しなかつたことは明らかである。そしてガスの一般利用者は、就寝の際など長時間ガスを使用しない場合には、単にガスコンロ等燃焼用器具の栓のみならず、元栓をも閉鎖してガスの漏出等の危険の発生を防止すべきことは、使用方法によつては重大な危険性あるガスの利用者として当然のことというべきである。殊に本件においては、ゴム管が前述のような状況で危険なことは一般利用者においても予想できたものであるからその意味においても元栓の閉鎖を怠るべきでなかつたということができる。
また勇が、本件アパートに入居した後においてはゴム管やガスコンロ等は既に同人の管理の範囲内に入つたものと認むべきところ、ゴム管が前述のとおり汚穢し変質、溶融、変形した危険な状況にあり注意すれば容易に発見できたのであるから、同人は、入居後常時使用することとなるゴム管等ガス器具について果してこれが使用に耐えガス漏出の危険がないかを注意し、もし危険を感じたならばその使用を一時見合わせまたはその所有者である本件アパートの貸主小林栄方にこの状況を告げて交換を求めるなどしてみずからも事故発生を未然に防止する措置をとるべきであるから、同人もこれらの点において過失があつたものといわなければならない。
五損害
1 勇の損害と損害賠償債権の相続
(一) (勇の失つた得べかりし利益)<証拠>を総合すると、勇は、本件事故当時三六歳の健康な男子であり、前述のとおり安藤建設を解雇され昭和四三年四月松本職業訓練所に入所したものであり、同月以降月額金三二、九〇〇円を下らない額の失業保険金の交付を受け、これから同人の生活費を控除した純収益は金二二、九〇〇円を下らず、右保険金は、同人が右職業訓練所を卒業する昭和四四年三月まで引続いて受領できるものとされていたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はなく、同人が右卒業後は自動車整備工として少くとも毎月右失業保険金額を下らない収入を得、右金二二、九〇〇円を下らない純収益を得ることができたであろうことは容易に推認できるところである。
そして、厚生省発表の「第一二回生命表」によれば同人の平均余命は35.37年であり、本件事故が発生しなかつたならば、同人の職業から考えてあと二七年間は就労可能であり、その間すなわち三二四か月毎月金二二、九〇〇円の得べかりし利益を死亡によつて失つたこととなる。そこで年五分の割合による中間利息を月別ホフマン式計算方法により控除して同人の死亡時の現価を求めると金四、六八九、二九五円(以下切捨)となるが本件事故については前記のとおり勇にも過失があるのでこれを斟酌し金二、三一〇、〇〇〇円の請求を認めるのが相当である。
(二) (勇の慰藉料)<証拠>によれば、勇はもともと機械が好きであつたことから自己の得意とする自動車整備工としての生活に期待して職業訓練所に入所したものであることが認められ、他に右認定を左右する証拠はなく、望半ばにして本件事故に遭遇し妻や幼少の子供を残して死亡したものであり、その精神的苦痛ははかり知れないものと考えられるが、同人の過失その他本件諸般の事情を考慮すると、その慰藉料は金六〇〇、〇〇〇円と定めるのが相当である。
(三) (原告らの相続)<証拠>によれば、原告繁子は勇の妻であり、原告由起美、同由花里は右両名の子であるから、原告ら三名は勇の前記(一)、(二)の合計金二、九一〇、〇〇〇円の各三分の一に当る金九七〇、〇〇〇円をそれぞれ相続により取得したものである。
2 原告らの損害
(一) (慰藉料)<証拠>によると、原告らは夫であり父であり一家の支柱であつた勇を失い、その精神的苦痛、経済的困難は著しく、原告繁子は出稼ぎにより幼少の原告由起美、由花里をかかえてその生活を維持しているものの困窮した状態にあることが認められ、他に右認定を左右する証拠はなく、勇の過失その他本件諸般の事情を考慮すると原告繁子の慰藉料額は金四〇〇、〇〇〇円、原告由起美、同由花里の慰藉料額は各自金二〇〇、〇〇〇円と定めるのが相当である。
(二) (葬儀費用等)証拠によれば、原告繁子は勇の葬儀費用として葬式用具金一〇、四〇〇円、寺院への布施料八、〇〇〇円、供花代金九、〇〇〇円、会葬者の食事代および葬儀手伝人への謝礼等金三九、一八五円の合計金六六、五八五円を支出したことが認められ、他に右認定を左右する証拠はなく、この額は葬儀費用損害として社会通念上原告繁子が賠償を求めうる相当額と認められる。
しかし、原告繁子の葬儀費用として請求する右認定以外の分、(イ)風呂敷代等金三二、〇〇〇円、(ロ)戸籍謄本等の費用金二〇〇円、その他雑費金一〇、〇〇〇円については、その支出があつたとしても、いずれも本件事故と相当因果関係にある損害と認めるに足りる証拠がない。
そこで、原告繁子の被つた葬儀費用等の損害については、勇の前記過失を考慮して原告繁子に金四〇、〇〇〇円の範囲で損害の賠償を認めるのが相当である。
六結論
以上のとおりであるから、被告は、原告繁子に対し、前項1、2に記載の同人に関する分の金額合計一、四一〇、〇〇〇円、原告由起美、同由花里両名に対しそれぞれ前項1の(三)、2の(一)に記載の右両名に関する各金額合計金一、一七〇、〇〇〇円ならびに右各金員に対する本件不法行為時たる昭和四三年七月九日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いをすべき義務がある。
よつて原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(篠原幾馬 清野寛甫)(竹重誠夫は転任のため署名捺印できない)